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釧路高専 現代社会講座

釧路公立大学
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釧路公立大学『法学概論』

● 読書レポートの作例 〔2016年度〕

「法学」の片鱗に触れて

 小渡 拓

 「法律」という言葉を聞くと、とても重要な決まり事だということがわかる反面、その存在は普段生活する私たちには遠い存在に感じてなりません。法律といえば、辞典ほどの大きさの「六法」やテレビで放映される弁護士による相談所、というような簡単な連想しかできない程度の認識しか持っていませんでした。加えて、それ以上の知識を得ようとは考えることもありませんでした。しかしこの本、『キヨミズ准教授の法学入門』を読んだことで、この考え方に少しずつ変化が生まれてくることになりました。

 情報を手に入れやすくなった現代において、得た情報を有効に運用するためには、とっかかりとなるようなノウハウを求める人が増えているように考えられます。その最たる例ともいえる、入門書は広く世間に広まり、氾濫することになりました。その中で、熾烈な競争を生き抜くために、入門書は多種多様な変化を遂げていると思います。概要について触れつつ、比較的専門的な内容にも導入していくスタンダードなタイプや、導入について漫画や小説として展開することで正確性ではなくわかりやすさを重視したタイプなど、本当に多様です。この作品は後者に近くはありますが、私は上記に挙げた二つのハイブリッド型だと考えます。

 作品のテイストはライトノベルと呼ばれる小説の体系に近く、普段本を読まない人にも、非常に読みやすく入り込みやすい作品だと感じました。入門書にありがちな整合性を無視した展開や単純に物語がつまらない、というようなことはなく、法律家を本職とする著者の構成・文章に脱帽し、その他の著作にも興味がわきました。しかし、この作品は、単に面白いだけの作品ではありません。法律の幅広さや、法学という分野の学問領域が法律だけにとどまらないことを、物語に合わせながらさっくりと混ぜていっています。これは、この本だけでは理解しきれない部分が出ることになりますが、同時にそれは読み手の知的好奇心を程よく、くすぐり、さらに調べてみたいという欲求に強く誘引しています。これはその分野へ参入する人を増加させることを一つの目的とする入門書として、非常に有効な性質です。そうしてこの本を読了する寸前まで進んだ人が、いったいどんな本を読めばさらに、そのことについて知ることができるのか考え始めた時に、手紙として記されるおすすめの本紹介が効いてくるわけです。あとがきに書くのではなく、教授から高校生への手紙というシチュエーションを生み出したことで、入門的な内容の本が多くなっても問題なく、同時に法学の興味へ背中を押してくれる構成だと感じました。

 内容を読んでみると、不思議なもので、あれほど興味がなかった民法の分野にも不思議と目を向けたくなってきています。法律は生活の中で使うことはめったにないかもしれません。しかし、法を考える基本的な発想は私たちにとって、武器になりえるのではないかと思います。人間社会には法律以外にも多くのルールが混在しています。条例、校則、活動の前の約束ごとや暗黙のルールと呼ばれるようなものもルールであり、「法」の一種だといえると思います。法を理解することは通り一遍の字面を知ることではなく、それを一般の生活に落とし込めるような解釈ができることだと思います。法律を必要とするような紛争が起きないというのが、第一ではありますが、それは人間である以上、ほぼ不可能です。だからこそ、正しく効率的に法を運用できる能力は、法律家でなくても必要ですし、きっと生きていく中で獲得していく能力でもあると考えます。そうした能力の入門を、大学生として行っておくことは、基礎を作るという意味で非常に有意義だと思います。法学を大学で学ぶ意義は、公務員試験や各種試験に使えるという直接的なもの以外にも、生活を豊かにする可能性を内包しているという間接的なものも少なからずあるのではないでしょうか。

 「法律」は決して遠い存在ではなく、知ることが生活に直結する可能性がある学問・ルールだと知ることができたのは、とても大きなことでした。「法律」をほとんど知らなかった自分がすぐに変わることはありません。それでも、この本を読んだことで、考え方の方向性が少しだけ動いたことは、ずっと先の自分につながっていくように思います。触れることができたのは「法学」の片鱗だけではなく、文章によって広げることができる自分自身の将来の形だったのかもしれません。


「若者と労働」を読んで

 小渡 拓

 私はバイトをした経験がないため、労働について実感を持つことができなかった。日常の生活の中で多くの職に触れることがあっても、それはあくまで表面的なもので「核」の部分に考えをめぐらす機会がこれまでなかったのは事実である。そう考えてみると、法学概論の講義を受講したことでこの課題図書を手に取ることができたのは、素晴らしいことなのではないかと思う。

 この「若者と労働」は日本の労働社会構造とそれに付随する人間について、海外の事例を踏まえ示されているため一見すると、とっつきにくい印象がある。しかし実際読み進めてみるとハッとさせられるような文言のオンパレードである。

 日本で生まれ育ち、日本で生活している私たちにとっては日本の会社組織はなじみ深いものであり、そこに違和感を覚えることはないだろう。だが日本の「メンバーシップ型」労働社会構造は、外から見れば異質なものであると濱口氏は語っている。私たちにとって社員=労働者であることは「常識」である。しかし大学に入学して会社組織について学んでみると、社員とはあくまで株主のことであり法律の条文でも社員という言葉が労働者を指すことはないと気づかされた。これはかなりの衝撃であったと記憶している。日本では職に就くのではなく、会社に入るのが当たり前となっているため、このことに気付かないまま生活する大学生、もっと言えば社会人も多いのではないかと思う。

 さらに衝撃を受けたのは2章の内容である。欧米の「ジョブ型」では職種・業務ごとにその給料が決まる職務給という制度が基本であるが、日本ではその人が持ちうる職務能力に応じた給料である職能給が採用されているという違いは短いながらも大学で学んできたため理解できた。しかし次に書かれている「労働時間の無制限」にはあまりの衝撃に固まってしまった。労働時間に制限がないという話はにわかには信じがたく、私の「労働基準法に守られている」という先入観を打ち砕かれることになった。残業することは労働者の義務であって、それを拒否したものは懲戒されるなんて話は本当に正しいものなのか。ブラック企業を筆頭に就労時間の問題が多くの企業で取りざたされているが本質的な部分は一般に浸透している内容に思える。6章で語られるような自らを犠牲に会社に尽くすような精神への批判が、結果的に逃れられない・逃げ出せないブラック企業を生んだことは多くの人が自覚し、是正しなければならない部分だと私は考える。自分から立ち止まって見つめる機会がなければこうした違和感にすら気づくことができないのは、ショックなことであったが考えを改める機会になったことは幸いである。

 この本の中でとりわけ興味を持ったのは3章である。私たち学生にとっても身近な話題である。能力の判断材料とかした偏差値や大学のブランド、教育を受けられる地頭の良さを重視する傾向はひしひしと感じていた。欧米の学校にはスタンダードに存在する職業に関する技能の課程は日本には少数で、学校での学びと仕事に就いた後での乖離は学生から見ても大きく、よく言われる「即戦力になる」なんていうことは実際の企業からしてみれば実質不可能なことであると思う。この章を読んでいてふと思いついたのは、釧路管内に存在する**高校という学校である。私の出身高校であるこの学校は前身を農業高校(ここで語られるような技能系の高校)とする総合学科の高校である。この学校は決して学力は高いとは言えない学校であり、偏差値も高くはない。この本に書かれるところの企業の求める部分には一見すると当てはまらないように感じる。しかしこの学校のユニークな部分はそういった一般的な物差しで見ることはできない。**高校は生徒の経験に重きを置く教育の課程を構成している。それは前身である農業の活動であり、豊かな自然と人のつながりを活用した環境の活動であり、異文化とのかかわりである。授業で学んだ基礎的な知識を校内・郊外活動を通してさらに深め、自らの経験とする。必要ならば外から人を呼び、時には訪ねまた学ぶ。学生自身の手で何かを生み出すという流れは、確かに直接的な職業の技能になることは少ないが、空疎なキャリア教育などではない、実りのある技能になるのではないかと思う。

 濱口氏の語るように普通科高校や文学部系大学は、今こそ岐路に立たされているように思う。私たちが学ぶ経済学・経営学は、おそらく実際との仕事と大きく乖離したものの一つである。文系大学の再編が文部科学省から通達されて久しいが、なくすのではなく大学自体、それ以上に学生の意識を変えなければ現実は何も動かないだろう。

 「若者と労働」を読まなければ、こんな風に思うこともなかったと考えるとやはり日々の生活は出会いの連続だと思う。労働が始まるのは3年後だが、今の自分から3年後の自分は連続している。こうして思い悩んで、何かをしようと動き出して初めて形にすることができるのだと感じた。今の自分に何ができるわけでもないが、日頃特段の思いもなく講義を受けていた自分がなんだか恥ずかしいと感じた。自分の生活が10年後、20年後に何かの意義を残せるような生活を、「釧路公立大生」として送っていきたい。

ここに掲載した文章は,学生から提出のあったレポートの中から後進の参考になるであろうと思われるものを講義担当者が選び,掲載の許可を本人から得たうえで,最小限の文章表現について添削を施して公開しているものです。筆者の見解を,講義担当者ならびに学校が承認ないし支持しているものではありません。


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