KUSHIRO National College of Technology, class in modern society

釧路高専 現代社会講座

専攻科2年 「技術者倫理」

● レポート作例

失敗を活かすには――JCO臨界事故に学ぶ

P.N. プリンスホテルの会長賞

はじめに

この臨界事故はJCO東海事業所の転換試験棟において,1999年9月30日に発生した. 監督官庁から認可された条件では,JCOの設備において濃縮ウラン溶液が臨界状態にならないように作業者が自律的に計量するウランの質量管理と,作業者には他律的な容器の形 状管理があった.質量管理では 1 回の処理量に含まれるウランが 2.4kg 以下であることを 義務付けている.1回の処理は1バッチと呼び自ずと均質なものが出来る.また,1つの均質なものを 1 ロットと呼ぶ.つまり認可された通りの作業を行えば,自ずと1バッチ=1ロットになる.

しかしながらこの時の契約では 1 回の納入は 7 バッチ分の均質なもの,つまり 7 バッチ=1 ロットとして納入する条件であった.そのために 1 バッチずつ処理された液体を 7 バッチ分混合して均質化する必要があった.この日は作業能率を上げるために本来の使用目的 とは異なる沈殿槽にウラン溶液を注入,混合を行っていた.その際最後の 7 バッチ目のウ ラン溶液を注入したところ,臨界量を越し連鎖反応が止まらない状態に陥った.この沈殿槽は設備の中で形状管理されていない唯一の容器であり,核分裂の連鎖反応が起きやすいずんぐり型の形状であった.

現場に居た作業員は核燃料の扱いに関する研修をうけておらず,臨界の危険について十分な知識を持たないまま作業を行っていた.また規定注入量である 2.4kg よりも多く入れても大丈夫かと現場の作業員は技術者に相談したが,相談を受けたのはそのラインの技術 者ではなく核燃料管理の技術者だった.つまりライン上の責任は無い状況で沈殿槽の仕様 を許可する返事を下した.

JCO では 1995-1998 年にかけて業績が悪化し,直接部門のエキスパートが人員削減のためチームから去ってしまっていた.これに代わり,通常はクレーンやフォークリフトを扱っている作業員が燃料加工作業を行っていた.この核燃料の発注者は逼迫した納期に加えて 核燃料の輸送許可を簡便化し, 7 バッチ=1 ロットの納入しか認めなかった.発注者と受注 者という立場の違いの狭間で,安全意識が消滅したと見られる.

また監督官庁の本施設に対する安全審査は書類が中心であり,現場での検査は行われていなかった.設備の変更に当たり溶液製造が追加されたが,それについての十分な審議が行われずに稼働許可が下ろされた.加えて小規模なウラン加工施設では,官庁による任意の巡視はあったものの法的な検査が義務付けられているわけではなかった.事故後の調査によ り,JCO 東海事業所で使われていた社内の作業マニュアルは政府の許可を受けていない違法なものであることが判明した.1983 年に認可された正規のマニュアルを後に変更し,その手順の変更を政府に届けていなかった.更に今回の事故では,その変更されたマニュアル からも逸脱していた.この長年にわたる逸脱した作業の拡大に対して対応できなかったことから,事故後にこのような法的欠陥が明るみに出た.

事故発生に関係すると考えられる要因

(a) 発注者と受注者のパワーバランス
(b) 逸脱した作業の常態化
(c) 監査官庁(第三者による)の安全管理
(d) 教育が不十分な作業員

 今回の事件をごく表面的に見れば,現場の作業員が手間を惜しんで大量のウラン溶液を扱ったため(俗に言うバケツでウラン)事故が起こった.つまり作業員が悪い=人的要因による事故に見える.しかしながら上記(a)〜(d)の要因を考慮すると,もっと組織的で,根っこ の深い問題であることが伺える.

 まず重要なのが(a)で示したように,発注者受注者のパワーバランスである.チャレンジ ャー号の事故にも見られるように,得てして発注者の立場とは強いものである.今回のケースでは発注者が短期間の納期に加え7 バッチ=1 ロットという条件を強要し,受注者である JCO がそれに逆らえなかった.その結果,(b)に示すように安全から逸脱した裏マニュアル での作業による製造を迫られた.更に逸脱を繰り返すうちに危険意識が薄れ,合理的を求め て更に逸脱を行う悪循環に陥っていた.

 事故とは,危機意識が薄れた頃にやってくるものである.2 年前,私は電子工学科 5 年で ロボット研究会に所属していた.その年のロボコン競技課題は,二足歩行ロボットがアメフトのボールを学生に向けてタッチダウンパスするというものであった.私が担当していた A チームではゴムカタパルトを用いた長距離ボール発射機構(図 1)を,後輩 O が担当する B チ ームでは強力なバネを用いた投石機によるボール投擲機構(図 2)を搭載していた.そのロボ ットの実験中,事故が発生した.

 B チームのボール投擲実験中,投擲機構のロックが外れ暴発が発生した.その際にロボッ トの近くにいた後輩 O の顔面にバネが衝突,危うく失明というヒヤリハットが起きた.

 この当時,AB 両チーム共に投擲機構について何度も実験を繰り返しており,多少の気の緩みがあった可能性がある.しかしながら強力なエネルギーを蓄える発射機構には必ず危険が存在し,その危険を制御安全で抑えこんでいるに過ぎない.JCO 臨界事故についても 濃縮ウラン溶液という臨界という危険が存在する危険物を,作業マニュアルで安全に「見え る」ように扱っているだけである.つまり逸脱が常態化し安全に関して気が緩めば,事故が起こるのは当然である.

 発射機構暴発をきっかけにロボット研究会内での安全管理が徹底され,安全マニュアルの作成,指差し確認,防護メガネ着用の義務化,ストッパーの設置義務化などを行った.私は安全管理のポジションを請負い,メンバーの安全チェック及び指導を行った.つまり上記の(c)を徹底したことになる.その結果,誰一人としてトラブルを起こすこと無く大会に望む ことができ,更に北海道地区大会優勝を果たすことができた.しかし,もしも暴発後も安全管理を怠っていたらどうなっていただろうか.B チーム暴発時はヒヤリハットで済んだが, おそらく次はそうはいかなかっただろう.

 【図1】 Aチームロボット(前方に大きく伸びたものがゴムカタパルト)

 【図2】 B チームロボット(図中下部の黒い帯がバネ部分)

 JCO 臨界事故についても,度重なるヒヤリハットが存在していたと思われる.しかし過度の安全に対する逸脱により感覚がマヒし,危険シグナルを見落としていたのではないだ ろうか.更に,項目(d)に示すように教育が不十分な作業員ではどのような状況が危険なの かという知識さえ不十分であり,結果として重大なシグナルを見落とし事故の危険性を何 倍にも増大させたと考えられる.

公衆の安全に対する技術者の役割

技術士倫理綱領や NSPE 倫理規定において公衆の安全,健康及び福利は基本綱領の一番初めに記されていて,最優先に考慮する事柄である.また企業行動憲章においても,企業は 社会的に有用で安全な商品・サービスを開発,提供し消費者・顧客の満足と信頼を獲得することが最優先である.しかしながら,臨界事故後の調査のため JCO に入った調査員による と,事務所の企業目標には第一: 利益を上げること,第二: 経営管理を徹底すること,第三: 安全を確保すること,と書かれていた.普通,規定を記す上で最初に書かれているものが最重要視されるものであり,規定内で矛盾が生じた場合は数字の若い方に従うのが常識であ る.そのため,JCO の社訓は 利益 > 経営管理 > 安全と言っているものと同義であり,利益向 上のためには安全を犠牲にすることもやむなし,という精神を組織的に掲げていたことに なる.企業が利益を追求することは尤もだが,社訓の第一項に利益を掲げる企業は始めてだ, と調査員は述べたという.

 組織が利益最優先の体制を堂々と掲げている状況で,一個人の技術者はどうすべきだろうか.仮に当時の JCO に入社していたとしたら,裏マニュアル,逼迫した納期,上司のコ ストダウンの圧力,経営悪化によりエキスパートが去り知識の不十分な作業員のみの体制, そして法の欠陥など様々な問題を目の当たりにする.JCO にとっては読んで字の如く,事 故へのデスマーチだろう.この体制は非常に根の深い問題であり,一個人の技術者が解決で きるスケールの問題ではないかもしれない.しかしながら,公衆の安全を最優先に考えるの が技術者の使命であり,それを全うするためにウラン溶液の作業工程に関するデータを集め,上司に問題点を指摘するのが技術者の役目である.もしも上司がそれを受け入れなかっ た場合,法の不備も含めて監督官庁に報告すべきである.更にそれでも問題があり,早急に人命に関わる場合であればマスコミに訴えることも視野に入れなければならない.

 内部告発は日本においてはあまり歓迎されない行為とされているが,裏マニュアルなどの明らかな法的逸脱がある以上,ギルベイン・ゴールド事件のような「〜かもしれない」と いった不確実なものではない.当然,内部告発した技術者は不利益を被る可能性が大いにあるが,現場の作業員が 2 名死亡し,また JCO もウラン取り扱い認可取り消しにより企業として存続できなくなったことに比べれば,企業も技術者も継続的に社会的責務を全うでき る判断ではないだろうか.

※ ここに掲載した文章は,学生から提出のあったレポートの中から後進の参考になるであろうと思われるものを講義担当者が選び,文章表現について添削を施したうえで提示しているものです。筆者の見解を,講義担当者ならびに学校が承認しているものではありません。


このページのホームへ戻る  「技術者倫理」のページへ戻る