失敗を活かすには――JCO臨界事故に学ぶ
ペンネーム:K.S.
1 はじめに
1999 年9 月30 日、高濃度ウラン燃料の加工をして いた工場で臨界事故が発生した。いわゆるJCO 臨界事故と呼ばれるこの事件は、地域住民への避難勧告、 周辺交通の麻痺、風評被害といった社会への甚大な影響を及ぼした事件として知られている。 本レポートでは、この事件の原因・背景から、我々 の生活に活かすためのフィードバックを得、そのため にはどうすれば良いかを考察する。
2 事故の原因
事故が発生した直接の原因は、正式な手順を踏まずに燃料の精製を行ったことである。さらに、製法のマ ニュアルが政府の認可を受けていない違法なものであったことが挙げられる。また、作業にあたった作業員が十分な社内研修を受けていないこと、並びに、本来は そのラインを扱う作業員でなかったことがわかっている。加えて、諸条件として、燃料の発注者が1ロット を7バッチ一組とする条件を付加し、JCO 側の設備条 件に合致していなかったことが挙げられる。 このように、複数の条件が重なり合って起こった事 故であることが推察されるが、それらは「安全意識の欠如」という一つの共通点に符合すると考えられる。 マニュアルが不正であったり、作業員に専門知識がな いことや、無茶な条件での発注は、それら一つであっても大きな危険を呼ぶ綻びとして作用するのは明らかであり、それが結果として大事故を呼んだとしても、 ある意味必然とも言えるだろう。 では、客観的に明らかな幾重の危険があるにも関わ らず、それを野放しにしていた理由はなぜだろうか。 次節にてその点を考察する。
3 「慣れ」が危険を呼ぶ
筆者は、最近(2011 年11 月15 日当時) 自動車学校 で、普通自動車免許を取るための教習を受けている。 仮免許を取得した直後には、すぐに路上教習が始まり、 「ついこの間までコースをゆっくり走っていたのに、い きなり50km/h で一般車が走る道路を走る」という事 実に、漠然とした怖れを抱いた記憶がある。同じく教習を受けていた後輩に訊いても、同じような感想が返っ てきた。このように、変化が起こったばかりのときは、 初めて体験することが非常に多く、ましてや車の運転 となると未知の危険があふれているのだから、思わず 身構えてしまうのが自然なことなのだろうと思う。し かし、道路を走っている一般車に目を向けると、自分 が乗っている教習車をすごい速さで抜き去り、ほとん ど赤に変わりかけている黄色の灯火の信号機の前を高 速で突破したりなど、あまりに目に余る行為が多い。 筆者のような初心運転者は、交差点に進入する速度が 速かったり、巻き込み確認を怠った際に、「失敗した」 という意識が漠然と存在しているが、前述のような運 転者にも初心運転者であった頃が必ずあるはずなので、 一体いつ、そのような乱雑な運転を行うようになって しまったのだろうか、と思うことがある。 筆者が考えるその転換期とは、流れるように次々と 行えるようになってきた頃、すなわち「慣れてきた頃」 であると考える。話を戻してJCO の臨界事故の場合 で考えると、この事件が起こる前から、「裏マニュア ル」と呼ばれる違法なものを用いていたことがわかっ ており、既に作業そのものが安全を保証できるような ものではなかったということが伺える。したがって、 この事故は起こるべくして起こったと言えるのではな いだろうか。もちろん、この事故ではそのマニュアル すらも逸脱した手順を踏んでいたためより危険な状態 であったことは容易に推測がつく。しかし、政府の認 可を受けるということはいわば安全を客観的に認めて もらうものであり、それを怠っていたということは、 少なからず「どうせ大丈夫だろう」という甘い認識が どこかにあったからではないかと考えられる。また、 事故そのものに関しても、管理者および作業員が核燃 料の取り扱いの専門家ではないことなど、認可を受け、 正規の手順を踏み正しい作業をすすめるということの 根本的な意義に関する意識が抜け落ちているように思 える。JCO はこの事故を起こすまでに当然ながら様々 な作業を行なっており、少なくとも、事故までは何ら かの問題が明るみに出ることは無かった。つまり、違 法なマニュアルなどが存在する「安全ではない状態」 でも操業を続行することができてしまい、結果的に安 全確認という技術者として基本的なポリシーが無意識 のうちに忘れられていたと考えられる。 前述の自動車の話で言えば、危険運転は慣れてきた ドライバーならではの行動である。自動車学校に居る 間はしつこいくらいの安全確認をさせられるが、免許 をとってしばらくすると、「そこまで神経質にならなく ても、自分は今まで全く事故なんか起こしていない」 と考え、基本を怠ってしまいがちだと、教官から伺っ た。危険やリスクが目に見えない以上、基本を怠ること で自らの首を絞めることになるのは明確である。JCO の事故も、法律・企業倫理によって築かれているはず の安全を保証する(事故が起こる確率を限りなく低く する) 手段がいつのまにか取り払われることによって 危険を呼び込んでしまっていたのではないだろうか。 筆者は、「慣れ」はリスク回避の手段のうち、さほど 比重を占めない要素であると考える。むしろ、ここま でに述べたように、中途半端なベテラン意識が本来予 防線をはってあったはずの新たな危険を呼ぶ可能性が ある。「初心忘るべからず」という言葉があるが、現代 においてもまさに当てはまることであると思う。
4 おわりに
JCO 臨界事故が何故起こったのか、「慣れ」という 点に焦点を当て、その原因について考えてきた。筆者が考えるこの事故から得られるフィードバックは、「基本を忘れるな」ということである。政府の認可を受け ることや、マニュアル化や社員教育による企業倫理の徹底は、作業そのものとの直接な関係もなく、おそらくその手続きも面倒である。しかし、その一見冗長な手続きは、会社の健全な運営を続けるため、筆者の例 であれば交通事故で人生を棒に振らないための先行投資であると言えるのではないだろうか。冗長であるが ために、企業・あるいは個人が慣れてきた時、軌道に 乗ってきた頃にショートカットをしたい衝動に駆られる気持ちも理解できなくはないが、それによって生ま れた杜撰な管理体制や行動が、長期的に見て何を引き 起こしうるのか、よく考えるべきである。むしろ、愚直に初心者と同じように基本的な行動を守ることが、 自分や社会にとっての総合的な利益に繋がるのではな いだろうか。